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会報誌「ときどき」のご案内
茨城言友会では,毎月1回,交流会の予定や会員のエッセイ,吃音学者の紹介,その他の連絡事項などを掲載した会報誌『ときどき』を発行しています。
現在までの『ときどき』の内容の一部を掲載しています。どうぞご覧下さい。
目次
「吃音ワークショップ2000 in 岡山に参加して」(第2号) 去る5月4〜6日に、「吃音ワークショップ2000in岡山」が開催されました。私は、今回初めて吃音ワークショップに参加しました。ワークショップの会期中は、主催地言友会の方々がスタッフとして裏方に徹して働いておられ、その方々の洗練されたお心遣いによって、ワークショップは万事滞りなく、いつの間にか進行していったように感じました。参加者としては、たいへん気持ちよく過ごすことが出来、主催地の方々に大変なおもてなしを頂いたように感じました。私は、今回のワークショップに参加して、とてもよい思い出が出来たと思います。他の参加者の方も、それぞれきっと満足して地元に帰って行かれたことだと思います。主催地の岡山言友会の皆さんやお手伝いをされた近隣言友会の方々には、本当にお疲れさまでした、と申し上げたく思います。
今回、参加者された方は、言友会歴の長い人もいれば短い人もいて、またワークショップにこれまでも何度も参加したことがある人もいれば今回初めて参加するという人もいて、さらには人生経験豊富な人もいれば若さあふれる人もいるというように年齢層にも幅があり、多士済々の観がありました。会場では、久しぶりの再会を喜ぶ方々がおられ、また今回のワークショップを機縁にお知り合いになられた方々もいて、記念撮影などをされたりする様子も見られました。
趣向をこらした数々の企画もさることながら、全国大会には各地から会員の方が参加されるので、多くの人に会えることが一番の魅力ではないかと思います。各地言友会の特色や、いろいろな会員の方の考え方や生き様などに触れることが出来、私にとって、とてもよい経験でした。
来年は、千葉でワークショップが開催されることが予定されているそうです。茨城言友会からも多くの方に参加していただき、全国に人の輪が広がっていくことを願っています。
第 2号(2000年8月1日発行)に掲載
ほんとに暑い日が続いています。
今この暑さが8月末まで続いたら記録的な暑さになるようです。特に西日本に台風でまとまった雨が降らなかったら深刻な水不足になりそうですね。神奈川の湘南は以前私が住んでいたんですが50年前と比較して、特に冬は氷が張らなくなり、霜が降らなくなっているようです。また、横浜の緑区などは昔は山に緑が多くて良く雪が降ったようですが、今はぜんぜん降らなくなっているようです。
このようなことは私が心配してもどうにもならないことなのですが20世紀は人類が数千年にかけてしたことをわずか100年でしてしまったすごい100年ですね。特に19世紀から人類の生活は劇的に変わっているようです。 私はこの世紀に生まれてきて生きていることに感謝しています。が、しかし、もし、200年前に生まれていたら、いまの43歳まで生きていられたか疑問です。テレビや電気が無く夜は本当に長かったんじゃないでしょうか、でも人生の充実度となると、人生が短くても情報や刺激が無くても、心が充実していたのは昔かな? 今のように人生に選択することが少なくて生きるのが今より簡単で単純だったのではないかな?しかし、時代を戻ることはできません!
話は吃音に変わりますが、来世紀は吃音の肉体的な治療法が、薬の進歩・脳や神経に刺激を与える技術の大きい進歩がある予感がします。しかし、この副作用はあるでしょう。ここまで人間の苦を取り除く必要があるがどうか疑問です。しかし、精神的な解決方はほとんど進歩は見られない予感がします。これはあくまで私の想像ですが。
<私のどもりの取り組み方>
吃音のつらさは、言葉が出ないのは第一次的なもので、二次的にはそれにより自分の人生に希望が持てなくなったり、私は生きたいように生き、やりたい事をして、欲しいものを得る、という生きる欲望が削(そ)がれることです。吃音でも成功した人や偉人はこの欲望と自己確信、言い換えるならば自分の人生に自信を持ちたい何とかしたいという欲望が非常に強かったのでしょう。私などのような、怠け者で努力が嫌いですぐ楽することを考える人間とは大違いです。
私も私なりに、どもりとそれに付随する劣等感によって傷つけられた自我に、自信とパワーを取り戻すために、意識的にも無意識的にも、一つ一つこんがらかった紐をほどくような困難な作業に、莫大な時間とエネルギーを費やしてきました。まだ続くでしょうし、これで良いと言う結論はでないでしょうが、こうなったら馬鹿な男の意地ですね。(それも、だらだらとするんです)この作業はマイナスを埋めるための作業です。こんなことに時間を費やさずに生きることにエネルギーを費やした方が良いでしょうが、その作業が私は好きなんですね。
私などの克服の方法は、吃音は苦しいが自分が、吃音であることに何か満足していて、その中に自分の心のオアシスを得ているかもしれませんね。本心は吃音を克服したいとは本当は思っていないところがあるかもしれません(??)。吃音であることの心の奥の本音は、自分に対して死に物狂いの努力しないこと、勇気を使わないことの言い訳ができるし、都合の良いことであるのかもしれません。あまり抽象的なことを書くのはこれくらいにしましょう。
どもっても大きなブロックをしないで言えるという事はすばらしいことです。私は今までに何回、このブロック(難発)のために自信とエネルギーを奪われ引き摺り下ろされたことでしょうか。
何かまとまっていませんが、何かヒントがつかめるかもしれませんよ、忍耐を持って読んでください。
第 3号(2000年8月1日発行)に掲載
去る8月17・18日、茨城県農村研修館(JA茨城県中央会)において、茨城県内の「ことばの教室」及び「きこえの教室」担当者の研修会である「第24回難聴・言語障害教育担当者夏季研修会」が開催されました。今回は吃音をメインにした研修会であったことから、茨城言友会から松谷寛士さん(松谷さんはメイン講師として当日講演をされました)、小林宏明さん、本間孝信さん、坂田が参加しました。
以下では研修会のプログラムのうち、松谷さんの講演「みんなちがってみんないい」と、吃音に関する研究協議会の様子をお伝えします。
松谷さんの講演「みんなちがってみんないい」では、まず松谷さんの自分史的な話しを軸に、その中で松谷さんの吃音観、ことば観がどのように変わっていったのかということが話され、その後、3月に開かれた水戸でのつどいのことや、茨城言友会の立ち上げのこと、8月19・20日のサマーキャンプ「みんなちがってみんないい」のことについての話しがつづき、最後に「自分の体験を通じて」というテーマのもと、松谷さんの現在の吃音観と、吃音の"症状"の大きさと"問題"の大きさの違い、「キミはどうする、という個別の対応」の必要性といったことが話されました。
次に研究協議会についてですが、研究協議会は、今回の研修会に参加されたことばの教室の先生方(70人程度)が3つのグループに分かれ、それぞれのグループに松谷さん、小林さん、本間さん・坂田が入って、吃音をテーマにした話し合いがなされました。
本間さん・坂田のグループでは、司会の先生の進行のもと、まず参加された先生方が自己紹介を兼ねて、今までの吃音をもった子ども達とのかかわりについて順に話され、その後本間さんと坂田を交えて、具体的な場面(例えば「朗読をさせない方がいいのか」)における吃音児とのかかわりや、中学生になったときのサポートの必要性などについて話し合いが行われました。
今回の研修会は、ことばの教室の先生方に"吃音をもつ人"について知っていただくよい機会になったと同時に、我々にとっても、ことばの教室の先生方への理解を深めるよい機会となりました。
今後もこのような機会が増え、言友会とことばの教室が協力して、吃音をもった子ども達やその親をサポートしていく体制がつくりあげられることを期待しつつ、報告を終わりたいと思います。
第 4号(2000年9月1日発行)に掲載
先日、何気なく筑紫さんのNews23を見ていたら、視覚障害(全盲)の大学生の方が教員を目指して教育実習をされている様子が報道されていた。その方は、子ども達に対して自身の障害感について以下の様な趣旨のことをおっしっゃていた。「障害を持つことは、可能性が狭ばるという意味で不幸なことです。でも、障害を持っていても出来ることはたくさんあります。私は、その出来ることを大切にいて、一生懸命生きていきたい」と。私は、「出来ないことは不幸であるが、出来ることを一生懸命やる」という、この大学生の方の生き方の潔さに深く感銘を受けた。この方に限らず、視覚障害や聴覚障害、もしくは肢体不自由の方(乙武さんもそうである)は、障害に対してある種の潔さを持っておられる様に感ずる。もちろん、テレビに出られる方が障害を持たれる全ての方を代表しているわけではないだろう。しかし、街や大学で出会う障害をお持ちの方を拝見したり接したりしてみても、そのような印象は依然として残る。
以下は、私が勝手に感じていることであり、あるいは誤解や思いこみなのかもしれないが、私が以上の障害をお持ちの方に感じた潔さの背景には、次のようなものがあるのではないだろうか。つまり、それらの方々は、抱えている障害が圧倒的に大きなものであるため、じたばたしてもはじまらない、障害を持ちながら生きるしかない、という決意を抱かざる得ないのではないだろうか。
ところで、吃音を持つ人はこの潔さを得ることがなかなか難しいという印象を、私は感じている。私は、言友会に入会して、主に年長の、私にとっては人生の先輩ともいえる方々のお話の中にこの潔さを感じて、「吃音を持ちながらも、このような素晴らしい生き方があるのだな」と深く心を動かされた(私は、そのお話が聞けただけでも、言友会に入った意味があると思っている)。しかし、自分自身を含めた、主に若い世代の吃音者に、この潔さを兼ね備えている人は少ないのではないだろうか。私自身も、日常生活の様々な場面で、吃る自分を恥ずかしいと思い、もがいている自分を発見して、潔くないな、と自分に舌打ちをすることがしばしばある。
私は、このように吃音を持つ我々がなかなか潔さを身につけることが出来ないのは、吃音がパートタイムの障害であるせいではないかと感じている。つまり、私たちは、生活のある場面においては「障害」者であるが、それ以外の場面では「健常」者となる。つまり、いわばフルタイムを「障害」と共に生き続けられている、先にあげた障害をお持ちの方とは、「障害」者としてのキャリアが自ずから異なってしまっているのである。このように、生活の一部分でのみ「障害」者であるということは、フルタイムを障害と共に生き続けざるえないことに比べれば遙かに幸せなことであろう。しかし、一方で、パートタイムの障害にはパートタイムの障害独特の悩みがあって然るべきであり、私はその悩みの一つが「『障害』者にも『健常』者にも徹しきれないこと」にあるのではないかと思っている。
「コウモリ」は、その昔、動物の仲間になろうとして動物の群のところにいったところ「おまえには羽があるから私たちの仲間ではない」と言われ、だったらと、鳥の群のところにいったら、「おまえは、卵を産まないから私たちの仲間ではない」と言われてしまい、どこにも行くあてがなく、結局、洞窟の様な暗いところに過ごすようになったそうである。パートタイマーとしての吃音者は、このコウモリが経験している苦悩を抱えているのだと思う。
それでは、私たちが、このコウモリ的な苦悩から逃れるためにどうすればいいのか?。残念ながら、こうすればよいのではないか、という確固たる考えを私自身は持ち合わせていない。何故なら、私自身、まだこの苦悩の中におり、そこから逃れることが出来ないでいるからである。しかし、私は、少なくとも現時点においては、以下のことがこの苦悩から逃れる解決策になるのではないかと推察している。第1に、恐らくその解決策として、コウモリの様に洞窟に隠れて暮らすのは得策ではないのではないかということ。第2に、吃音者には、「障害(吃音)」者として生きる道と、「健常」者として生きる道のどちらがあってもいいのではないか。又、「障害(吃音)」者としても「健常」者としても生きていく、つまりコウモリであることに開き直るといういう生き方もあるのではないかということである。つまり、「障害(吃音)」者としてでも、「健常」者としてでもいいから、腹を据えて物事に取り組むことが大切なのではないかと感じているのである。ただし、私自身、この苦悩から逃れるにはまだまだ時間がかかりそうである。自分がどの道を進めばいいのか、考えあぐねているところがあることを否定できない。しかし、今後、少しでも前進できるように、歩んでいきたいとは思う。最後に、辞書にとても示唆に富むことわざが載っていたので、紹介する。
こうもりも鳥のうち 微力なもの、つまらないものでも仲間の一部であることのたとえ。また、つまらないものが賢者の仲間にまじっていることのたとえ。 (国語大辞典(新装版)小学館
1988. )
第 7号(2001年2月1日発行)に掲載
人は遺伝子情報以外の後天性の情報を補う手立てを得て、始めて世に住むことになるのだろう。さらに人は広範な時間と距離からの賜物としての歴史や自然の摂理を取り入れて、始めて世に住む人になり得るのだろう。今、世の言葉の断片から、現在の座標を探ろう。
「私たちのいきる場所」 何かに没頭して夢中になっているとき、私たちがいるのはこの現実の世界ではない。私たちがいるのは現実と空想とが交わる場所、すなわち移行現象や遊びの起こる場所です。逆に言えばそういう場所を生み出す力がないと、私たちは遊べないし、本当の意味で人生をいきることはできない。"私たちのいきる場所は、実はこの物理的宇宙空間のなかのこの場所ではなく、空想と現実の間にあるどこでもない場所にいるときこそ人は生きている。そうでないときは、生きているふりをしているだけだ。"(NHKラジオ講座テキスト)
「私はもはや人生から期待すべき何物も持っていないのだ。」これに対して人は如何に答えるべきであろうか? ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何を我々はまだ期待できるかが問題ではなくて、むしろ人生が何を我々から期待しているかが問題なのである。・・・中略・・・ 人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならない。収容所におけるすべての人間は、我々が悩んだことを償ってくれるいかなる幸福も地上にはないことを知っていたし、またお互いに言い合ったものだった。われわれは「幸福」を問題とはしないのである。(V.E.
フランクル 夜と霧)
現代人は、必要以上に「幸福な人生」をほしがっているような気がしますが、本当にいきるのと幸福にいきるのとは違うとおもうのですが。(山田太一)
そして実は生きることが同時に「死を待つ」ことであるとき、さまざまなことを真に「待つ」人生が「一つの生」としてまとまり、その「一生」を「われ」ということができる。西田幾太郎の言うごとく「個人あって経験あるにあらず、経験があって個人あるのである」 「われ」があって人生を経験するのではない、人生という経験が「われ」と言い得る「われ」を生むのである。(上田閑照、私とは何か)
「魂を揺さぶる走り方」 最近ザトベックが逝ったことを報じた新聞の見出しである。私が言友会から離れられないのは、いつの日か
"聞く人の魂を揺さぶる吃音"に出逢えそうな気配がするからだ。そう、田中正造の演説を聞いた誰かの感想
"この講演を聴いたことを、私は生涯の誇りにしたい"と同じ感慨をもてる吃音者に出逢えることを楽しみに、これからも言友会にアンテナを張って行こうと思う。
第11号(2001年6月5日発行)に掲載
私には【姉】・【妹】と呼べる友だちがいて、それぞれ10歳ほど年齢が違う。
私が吃音者であることを初めて人に言ったのが、【姉】である。「それがどうしたの?」、【姉】の答えはこうだった。私は思ってもみない、そのことばに戸惑った。だって、他人は「そんなに分からないよ」とか「もう治ったんでしょう」とか、慰めに似た台詞を返してくると想像していたからだ。「それがどうしたの」、このことばが私の頭の中で繰り返され、ハッ!と気がついた、これでいいんだと。このひらめきが私にとって、吃音に立ち向かう第一歩であった。
【姉】と食事をしながら、語り合い・笑い、時には涙を流すこともある。本当に楽しいし、いつまでもこの時間が続けばいいな・・・、とさえ思う。なんていうのかなぁ、気持ちが落ち着くし、とても居心地がいい。話をする度、私自身とても為になる。たまに、2人の立場が逆転するときもある。これはきっと【姉】は心が広いからだろう。
現在、私の吃音症状があまり出ないのは、【姉】の存在が大きいと思っている。
一方、【妹】には千葉の吃音者のつどいを通して知りあった。【妹】はごく軽い吃音を持っている。軽い故の悩みで症状が出たときは、非常に気が滅入るようだ。大学での音読や人前で話すことが恐怖で、何とか吃音を改善したいと思い、2人で一緒にがんばっている。また、食事や買い物にも行きとても楽しい。
ふと思いがけない所で、改善の成果が現れる。というのは、他人に名前や物事を聞かれたりする場面に、【妹】は緊張することなくことばを発しているからだ。その【妹】のかお表情は最高に良い。私はその笑顔に救われる。
私は【姉】からは思いやりを、【妹】からは自信を頂いた。人から必要とされることは、自分自身を成長させ、とても幸せだ。人は一人で生きられないものだと、つくづく感じる・・・。
第12号(2001年7月1日発行)に掲載
今になって、私が自分の吃音に対して誤った考え方や対処をして自分の人生を小さくつまらないものにしていたかを感ずる。これを植え付けたのは環境や自分の弱さもあるが、人間の悪の心によるところが多いようにように思われます。人間は自分より上の人間がいると惨めになるので、自分より同じかそれ以下の人間を作って安心をはかろうとするところがあります。そんな時、どもるということは格好の責めるところになります。自我の目覚める前に、自信を持たれる前に潰しておけというわけで、その術中にはめられたわけです。吃音に対して悪いイメージを持たせて、吃音である限り人間として失格だなどという考えを持たせておけばまずその人間は浮かび上がらないだろうと考えるわけである。私は、今考えてそのような人間は沢山いました。それは自分の中にもあるでしょうが、その人間が悪意を持ってやったのか、無意識的にやったのかそれは知らない。
そこで、どういう考えが植え付けられたかというと、「吃音は悪いこと」 「吃音は治さなければならないこと」 「吃音は恥ずかしいこと」「吃音を持っていては一人前になれない」 等が心と体に刻み込まれてしまったわけである。何をするにもこれが私の背後から覆い被さってきて自分をがんじがらめにするのです。これは、吃音というより心理的な問題です。ここに、吃音があまりに人間的な複雑に絡み合ってる厄介な問題であると考えられているところだと思います。
ここから、自分のまだ十分とは言えませんが、最近悟ったことの本筋に入ります。私の心の中では前述の通り、吃音に対する悪いイメージがあって何事を行うにも、そこの吃音のところを通過すると、アウトプットされる行動(反応)や考えがマイナスの暗い、固いものになってくるわけです。
それだけ、「吃音は悪いもの、吃音は駄目なんだ」・・・・・という考えがあるわけなんですね。その中に「吃音は自分の責任である、それをコントロール出来ないおまえ(自分)が悪い。何とかコントロールしなければならない。」という考えに取り付かれてしまったわけですね。しかし、しかしです。 吃音に好き好んでなったわけでないし、自分が悪いことをして吃音になったわけでないのだから、つまり、自分の責任で吃音になったわけではないのだから「自分の吃音に対して責任を取る必要がない」のです。非常に困難なここと(どもりを直すこと)に取り込む責任は無いのです。他人が吃音にとやかく言ってきたら、それを鵜呑みにして、「はい」解りました。何とかします。などと等という必要は無いのです。それをしたら、前述の術中にはまってしまうのです。責任が無いのに責任を取らされて人生の貴重な時間を無駄に費やすことは本当にもったいないことです。そのようなことを言う人間が悪いのです。
吃音を乗り越えた人は意識的か無意識的かこのような作業をやってきているのでしょう。運良くそこまで心が痛めつけられなかった人もいますが。私たち吃音者には、他人からのその攻撃に立ち向かう力はあるのです。いや、それに立ち向かって勝たなければならない。自分の人生のためにも自分の人生の主人公は自分なのです。
(これはあくまでも参考に、世の中には良い心をもった人も一杯います。)
第14号(2001年9月5日発行)に掲載
吃音には色々なタイプがあると思います。連発もいれば難発もいる。重い人もいれば軽い人もいる。第三者から見て吃音者とは思われない軽いどもりでも、当人が、自分は吃音者だと自覚すれば、その人は吃音者に違いない。
逆に少しどもっても、自分はどもりではない健常者なんだと、どもりを意識しなければその人は吃音者ではない。軽いどもりの吃音者と少しどもるが吃音を意識しない健常者のボーダーラインは不透明で、分かりにくい部分が多いと思います。
私は、長年吃音矯正に努力を重ねてきました。その成果が実り、短い会話なら吃音者と分からぬ位に回復しました。しかし、大勢の前や緊張した場面に直面すると、どうしても平常心が保てずどもってしまいます。これをどう克服すればよいのか、今は色々な場面を想定して、発声練習に没頭する日々が続いております。
私の練習方法は、新聞や本を音読することです。それは一番簡単に練習できるからです。練習することにより発声器官の筋肉を鍛えたい一念から、根気よく実行しているところです。
私は茨城言友会に入会して、読書時間が長くなりました。それは、よりよい成果が期待できるからだと思います。どもった箇所の再チェックやどもった後の呼吸の立て直方しなど、自分流に研究し、実の入った練習を続けております。
私がどんなに吃音矯正に努力しても、自分の心から吃音というレッテルを剥がすことはできないかもしれません。が、練習をすれば、今より軽くなる、これは絶対に自信を持って断言できます。
吃音に関する考え方や矯正方法には色々な意見があると思いますが、私の体験上一番大切なのは、発声練習時間をノルマを決めて毎日実行することだと思います。吃音は自分自身ですから、長い時間をかけて、治すことより軽くなることを念頭に置き練習していただきたいと思います。
特別寄稿(2001年9月13日)
30年前には仲間と初歩的な山登りのようなことをしていた。山では、天候の急変、肉体の酷使から体調を崩す場合があり、運が悪いと遭難にまで至ることがある。これを避けるために、どんなに天候や体調が悪くても、例えばみぞれ吹雪や凍てつくような風雨の中で、震えながらでも食べる気になれる食料を持参していることが必要である。一番好みの嗜好品がそれに適している。そのような非常食の種類は人毎に違う。僕の場合は、アーモンドをくるんだチョコレートとか、「一粒で二度おいしい」キャラメルとか、甘物系である。
30年過ぎた。今、何の変哲もない日常の中で遭難する危険を感じることがある。山で遭遇する肌にしみ込む雨風は街にはない。 代わりに、不定形の不安感と、理由がない気忙しさと、漠とした喪失観と、不明の見通しの中での焦燥感、等で心が塞がれる想いや、心が萎える想いに取り憑かれることがある。心が凍てつき、捕らわれることがある。 計画的に仕事を進めれば、何とか凌げる日程であるのに、締め切りの重圧のみ重く感じて、快活な日常から遠のいてしまう。
その事こそがまさに、「吃音に捕らわれた状態」に酷似していることに気がついた。 "スピーチ技術が未熟である"ことを自覚して脂汗をかくことはある。 年に二度、国際プロジェクトから受注した業務の報告をこなすために、発表前日は深夜から明け方まで、各国のホテルの鏡に向かって、説明の暗記をする生活をこの数年間繰り返してきた。 どもったどもらなかったではなく、"単に聴衆が仕事の成果を理解できたか否か"を唯一の基準にしており、"吃音に捕らわれてはいない"と理解していた。また、形態的にも、心理的にも"どもろうがどもらないだろうが"どちらでも構わない状態なので、すでに吃音問題は去ったと解釈していた。しかし、上述の心が塞がれた生活こそが、典型的な「捕らわれた生活」の証左である。
そういう時には、非常食に相当する物が必要だ。例えば、それをやっていれば理由もなく楽しいようなことを身に付けていることによって遭難を回避することが必要だ。楽しくなるような積極的なことでなくてもよい。ハングアップした心がゼロ点にリセットされれば十分だ。 言友会を二〇余年間、大した寄与は何一つできなかったが、適当な距離から関わってきた結果として、面白おかしくてというような成果は期待できないものの、凍てついた心(あるいは凍みいろうとしている心)を時間をかけて溶かしてくれる場所である。その意味で、街頭で遭難しそうな場合の非常食的な役割を十分果たしているのが言友会と、勝手に解釈している。
第15号(2001年9月16日)